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建築における意識と、住宅における無意識

先日、(2015年4月11日)京都工芸繊維大学で開催された記念シンポジウム
村野藤吾の住宅デザイン」を聴講する。
建築史家:藤森照信、建築家:木原千利の基調講演
その後、村野藤吾の図面資料の調査報告会という
14時から18時、4時間渡る長丁場であったが飽きさせない講演であった。


中でも藤森照信さんの基調講演は、私自身もずっと関心を持ち続けていた要素でありながら、
うまく言葉に表せず、モヤモヤしていた部分であったので、
点と点がつながったような心地よさを覚えた。


以下、講演内容のメモを記す。
(一部、補足情報など加筆)

村野藤吾の住宅の多くが和風でごく当たり前のプラン、特別なことはしていない。 
およそ他の同時代の建築家はそんなことはしない。なぜ、そうしたのか。


■住宅と建築

20世紀以前の建築では住宅(HOUSE)と建築(Architecture)は全く別物。
ヨーロッパは建築家が民家を扱うことはなかった、扱っても王宮クラス
(今でも日本だけが異例で小さな住宅も建築家が手がけている)
コルビュジェ以降になってから、建築家の表現・主張として住宅が作られ始めた。


住宅は意識の世界を終えて、ダラーとする空間
家に帰ってきても意識の世界があると疲れてしまう。と考えるのが普通の人の考え。
20世紀以降、意識を眠らせる場所に意識を投入してしまう時代になる。
すべての建物の中で建築家が手がける建物は1%程度、
1%の意識的な人々の住まいを作ることで建築家は生計を立てている。


■日本における住まい(住宅+暮らし)への関心の流れ


根本的なことに建築家が気づくことはない。たいがい学者が気づく、
住宅における無意識の世界に初めて気づいたのは柳田国男かと思われる。
宗教のレベルのものは言語化できるが、
宗教以前のレベルのものは言語化されていないので人間は意識することができない。
「民家は(宗教以前の)無意識の世界の器としてあるのではないか?」ということに柳田は気づいた。
民家を調査したいと考えたが、聞き取りとは異なり、柳田自身では調査できず、
早稲田大学建築科創設者佐藤功一の紹介で、今和次郎を連れて行った。(1917年(大正6年))
その際、「民家」という言葉も今和次郎によって生み出される。


村野藤吾は大学生時代に助教授であった今和次郎の影響を受けている。
柳田國男との調査の翌年の大正7年に村野藤吾は大学を卒業)
当時、今和次郎の自宅で読書会が開催されており、そこで「Art and Commonwill」という本を読んだという村野の記録がある。
内容は推し量るよりほか無いが、「芸術と大衆」という題からして、
ヨーロッパでは絵と彫刻が芸術として圧倒的地位を持っていたなかで、特権的でないものの芸術的価値を見直そうという、
ウィリアム・モリスのアーツアンドクラフツの流れの本ではないかと思われる。
同じ会に、村野の一学年上の山本拙郎も参加していた。
彼は、卒業後「あめりか屋」という住宅供給公社に就職したが日本で最初の住宅作家といってよい。


山本が審査を務めた婦人雑誌の住宅設計コンペに、また中学生だった吉村順三が応募し優秀賞と佳作賞に入った。
この吉村順三のプランに対して、山本は「・・なんともいえず素直です。」と評している。
この評し方からも、言語化しづらい部分を評価していることがわかる。

このことがきっかけで、吉村順三は、最初に好きになった建築家として山本拙郎の名前を挙げている。
そして、吉村順三自身も、同じような言語化しづらい部分を大切にしていた。
吉村順三へ直接(藤森さん自身が)インタビューした際、
「皇居新宮殿のあの屋根飾りの意味は何ですか?」と問うたところ、
しばらく沈黙した後「・・・気持ちがいいでしょ?」と答えられた。
これなどは、およそ理論とはいえない、まさに言語化しづらい無意識の世界にあることを示している。
言葉は殺菌力が強く、無意識の世界の発酵している状態を止めてしまう。
しかし、近代化とは「無意識の世界をどれだけ意識の世界に置き換えるか」であり、それで儲けてきた。


後年、今和次郎と同い年の藤井厚二邸(聴竹居)を吉村順三が訪れている。
藤井厚二、吉村順三堀口捨己
彼らは“近代的な自分”と“そうでない自分”を自覚していた。
例えば、多くの一般住宅で作られた中廊下式住宅を、他の建築家は嫌がったが、
彼らは積極的に用いている。


村野藤吾の中にも、“建築家としての自分”と“そうでない普通の人(無意識に通ずる人)としての自分”が共存している。
そこが、彼を分かりにくくしている。

20世紀以前の日本人建築家の多くがそうであった。
辰野金吾も和と洋を使い分けて設計をしており、洋の部分は自分でやると決めていた。
庭の世界では、ずっと無意識の世界のまま、今まで続いている。
革命的な庭は生まれなかった。
庭が大事か建築が大事かといわれると、普通の人は建物よりも庭の方を見ている。
明治の政治家の多くが、立派な庭のある屋敷に住んでおり、
日常では近代的なことをしながら、家に帰って庭を見て心を鎮めた。
強い意識の世界から解放されるためには必要な要素だったと思われる。

このあと、木原さんの講演が、木原さんの実作などを映しながら行われたが、
木原さん自身がまさに藤森さんの言われる無意識の世界のを作る人のようで、
写真を見れば、その建物すばらしさはわかるが、
言葉としてそのよさを説明することは難しいと再認識させられた。
((木原千利設計工房HP



他の雄弁な現代建築家が、無意識の要素を切り捨てているというわけではない。
しかし、「語れない部分」が「語れる部分」と比べられて、どちらかの選択を迫られた時、
やはり「語れる部分」が優先され、「語れない部分」が切り捨てられてしまうというケースが多いと思われる。


民家=保存運動と結びつけてしまいがちであったが、
民家にあって、現代建築にないものをあらためて意識し、
自身の創作行為に活かしたい。


「言語化できないよさがその建物にある」ということは、
古い建物を保存する際にも、とても重要な視点だと思う。
(今は、登録有形文化財などの制度的にも言語化が強要されている)



村野藤吾の住宅デザイン: 図面資料に見るその世界

村野藤吾の住宅デザイン: 図面資料に見るその世界