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ゲニウス・ロキと道祖神

仕事が一区切りついたので、ようやく初詣をする。
恵方詣りという古風な風習を思い立ち、
今年の恵方(西南西)の方角にどの寺社仏閣が位置しているか?と調べると、
結局、地元の氏神様の方角であった。


氏神の神社へ赴く途中に、しばらく通っていなかった祠のある道を通ってみようと思いたち、
足を運ぶと、祠はそこにはなく、ただいくつかの石が寄せ集められているのみであった。

この祠のことは2年ほど前にこの日記でも取り上げ、
アノニマスなものについて - 心象図録
当時も「今の姿があるべき姿ではない気がする」という感想を持っていたが、撤去されるとは思っていなかった。


氏神である春日神社に足を運ぶと、その社殿の脇に祠は鳥居とともに移動していた。

あらためてこの祠の経緯が記されている。
19世紀頃に作られた道祖神と記されているが、
祀られているのが単なる丸い石らしいことから、
もっともっと古い時代から何かしらの信仰は存在していたと考えている。


その足で借りていた本を返却するために府立中央図書館へ行くと、
クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ が著した「ゲニウス・ロキ―建築の現象学をめざして」という本が目にとまる。
大学の研究室の教授がその分野に力を入れていたこともあり、
建築の場所性というものに少なからず興味を持っていた。
(大学の講義で具体的に場所性について教えられたわけではない)


卒業して、どんどんと関心が推移し、いつのまにかすっかり忘れていた。
しかし、すっかり忘れてはいても、関心の分野は変わらず、
関心を持ち続けていることをつなぎ合わせると、今でも建築と場所の関係性、地霊というようなことの
周辺をさまよっていることに気づく。


2007年ごろ建築史家ケネス・フランプトンのラディカル・リージョナリズムという考えを知った。

それは以下のような考え

批判的地域主義(ラディカルリージョナリズム)の概要
(K・フランプトン 「近代建築」第3部5章)

INAX出版「20世紀建築研究」より引用

1 近代化に対して批判的でありながらも、近代建築の進歩的遺産を受け入れ、それを周縁的な実践に反映させること

2 場所に根ざした建築であること

3 構造的心理を重んじるテクトニックな建築であること

4 風土性を最大限に活かした建築であること

5 身体の五官そのものに訴えかける感性豊かな建築であること

6 地域性を無批判に形態として翻案するのでなく、あくまでも近代主義の実践として地域性を建築に反映させること

7 近代建築の現状に対する積極的な批判的実践としての役割を担うこと

●「場所性」の回復

その場所ならではの建築の構築法

ランドスケープも射程に入れた環境論に対する意識

●「身体性」の回復

建築の触感性に対する再認識

時間性および空間性の読み直し

●「構造の本質に対する意識」の回復

デコンの構造に対する過剰な挑戦に対する批判

建築形態をシンプルさらにはミニマルなものへと還元してゆく流れ

●「様式」に対する抵抗→誇張せず、不必要なものはつくらない

デザイン・レスの方向性


この方向性は今でも、共感する部分が多く、
ゲニウス・ロキを活かす考えも盛り込まれている。
批判的地域主義 - Wikipedia


このような考え(初詣しようとか、祠を見に行こうとか、ゲニウス・ロキに目がとまるとか)が再び頭に登ったのは、
昨日、NHKEテレの特集「日本人は何をめざしてきたのか」において石牟礼道子さんが取り上げられたからだろうと思う。
放送予定|NHK 戦後史証言プロジェクト
彼女が生涯をかけて取り組んだ水俣の問題は、まさに土地(自然)と人間(人工物)の関わりの物語であり、
彼女自身が「不知火」という能にもしているように、地霊(ゲニウス・ロキ)とも関連している。


もう一度、このあたりの関心を関心に終わらせずに収斂させたい。

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

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ゲニウス・ロキ―建築の現象学をめざして

ゲニウス・ロキ―建築の現象学をめざして