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あふれる

一週間でも書かない週を作ってしまうと、
どんどん書くことができなくなる。
ということを思いつつ3ヶ月近く更新を怠る。


おととい朝(11/14)、テレビを見ていたら谷川俊太郎さんの言葉に関する特集が組まれていた。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2014/11/1114.html

「ものすごいインフレーションですね。
実態が伴わない言葉が氾濫している。ストックにならない。全部フローになる、言語が。」



「言語はいつも、全体的なリアリティーの何分の1かくらいを、ちょこっと言っているだけという気がする。
できるだけ、言語以前の部分(心の中の思い)を感じようとすれば、だんだん感受性が復活するんじゃないか。」

何かを発さなければならないという、義務だけが先に存在して、特に発したくもない言葉を発する。
そして、同じように受け取るつもりのなかった言葉を受け取り、
その言葉に対して何かリアクションをしなければならない。


内田樹さんが昨日書かれたブログを読む。
いつも彼が書かれていることが、また記されている。

川内原発再稼働について (内田樹の研究室)

国民国家の最優先課題は「いま」収益を上げることじゃない。
これから何百年も安定的に継続することです。
株式会社の経営と国家経営はまったく別のことです。原発推進派はそれを混同してしまっている。


社会が成熟すれば経済活動は必ず停滞する。
生身の身体の欲求に基づいて経済活動がある限り、「衣食足り」れば消費は頭打ちになる。
成熟社会では人口が減り、消費活動は不活発になる。
成長しない社会において、どうやって国民資源をフェアに分配するか、
この問いに答えるためにはそのための知恵が要ります。
でも、わが国の政治家も官僚も財界人も学者もメディアも、
誰一人「経済成長が終ったあとに健康で文化的な国民生活を維持する戦略」については考えてこなかった。

・・・
相変わらず「パイが膨らんでいる限り、パイの分配方法に国民は文句をつけない」
という経験則にしがみついている。

実態が伴わない言葉の氾濫と経済政策は無関係だけれど、
不本意に溢(あふ)れてしまって苦しいのに、その苦しさに自覚的になれない
という部分ではどこか共通しているように思える。


「そうではない」という人に対して、
「そうではないことはない。そうなんだ」と主張する力のある言葉を私は持たないけれども。