ポリティカル・コレクトネスとファストファッション

先週記した山本耀司氏のインタビュー集「服を作る」を読む。


おそらく彼らを経営的に圧迫していると思われるファストファッション
そのファストファッションの否定の仕方は率直で自身の服作りへの自負が感じられるものであった。


Q:ファストファッションをどう思いますか?
A:「テレビの低俗番組と似ていますね。その瞬間、楽しければいいという。」(137頁)


Q:ユニクロの商品を買ったことはありますか?
A:「ないですよ。あれは大半のメーカーだったら作れるものですね。
ところがユニクロのうまかった点は、ブランドにしちゃったというところ。」


Q:気になるファストファッションブランドがありますか?
A:「ないです。みんなひとくくりになっちゃってます。」(137頁)


Q:無印良品をどう思いますか?
A:「ちょっと複雑だなあ。自己顕示欲の強いデザイナーの服なんか着るのがダサいという気分に
達した人たちの間で、別にブランドなんかいいんだというムーブメントがあった。
ブランド名なんかないもので、よくできているものを作ろうと、
田中一光さんや小池一子さんたちが西武に頼まれて作ったものですよね。
始まったころは「うまいこと始めたなあ」と感心し、何だかクレバーなブランドに見えました。
でも付き合ってみてわかったのですが、本音はほかのメーカーと変わらないなあと。」(138頁)


別のところでも言及している。


「今、世界のファッション界では、手頃な価格でトレンドを盛り込んだファストファッションなど、
巨大資本が力を持っています。ビジネスだから、服は売れなければだめだけれど、
アンチテーゼなどない時代になってしまった。
それに、インターネットなどの普及で、すぐに情報が集められるようになり、便利にはなりました。
でも、自分の中で必死になって考え、ものごとを突き詰めていくということが、だんだんなくなった。
すぐ見ることができるし、すぐ手に入る。だから、何かに思い焦がれる機会も少なくなった。
かつて1990年代にベルギー・アントワープ王立アカデミー出身のデザイナーたちの勢いが
パリコレで増していったころには、「これは新しい時代が来るな」と思ったことがありました。
2010年2月に自殺してしまったイギリス人のデザイナー、アレキサンダー・マックイーンが登場した時もそう。
競争しているという感じと、同時に「おれは特別だよ」という気持ちが併存していたんです。
でも今は、パリコレ全体が目標を失ってしまいつまらなくなってきている気がします。


作家の坂口安吾の言葉を借りれば、
「それを表現しないと、死ぬしかない」というくらい追い詰められているのか、
という自分への問いかけが作家にないと、本当にいい表現はできない。(9頁)


Q:「日本の女性のファッションをどう思いますか」
1960−80年代に比べると、今の日本の女性のファッションは堕落しております。
保守化し、堕落しています。要するに本人の意志がはっきりしていない。で、
流行のものを着ている。何かのグループに属することをよしとしている。
その人だけ特別なものという感覚がほとんどなくなってしまった。(141頁)

戦後に入り多くの人が小さくとも持ち家を持てるようになった(国の政策の影響もあると思われるが)と同様に、
ファストファッションの台頭により、多く人が着衣ではなくファッションをするようになった。
その底上げ、フラット化によって与えられた持ち家、ファッションは、
トップクリエイターの眼から見ればつまらないものなのかもしれないが、
そのことを率直に発言することははばかられる。


先週、宮台真司さんがゲストのラジオ番組で昨年のカンヌ映画祭パルムドールを受賞したフランス映画
アデル、ブルーは熱い色」の評が述べられていた。(映画公式サイト←注:音が出ます
「この映画は単なる同性愛女性の恋愛映画ではなく、階級の問題を扱った社会映画である」と。
「フランスでは今でも庶民と上流で階級差があり、哲学に関する素養など階級での常識があり、
いくらお金持ちになっても、それらの文化的素養がなければ認めてもらえない。
よって、階級を超えた恋愛は難しい。映画では片方の浮気に片方が激昂し別れるという展開になるが、
それはポリティカル・コレクトネス(偏見や差別を含まない中立的な表現)に配慮したもので、
実際は、階級という超えられない一線を描いている。」とのこと。


以前、宮台氏は同じラジオの別の回で、
日本文化のキーポイントの一つとして「文脈の自由化」があると述べられていた。
「文脈の自由化」とは、所属階級や人種に関係なく楽しめるコンテンツであるということ。
無表情の美学 - 心象図録


ファストファッションは何も売れる服を作ろうという安直な発想でスタートしてはいないし、
また着る人自身も耀司氏がバッサリ切り捨てるほどファッションの何たるかを理解していない人々ではないと思う。
ある意味、ユニクロ無印良品の製品はこの「文脈の自由化」を志向している極めて日本的な製品とも受け取れる。


ポリティカル・コレクトネスという言葉を初めて聞いたけれども、
ポリティカル・コレクトネスなどの倫理感を身につけている人と、
自身が努力して身につけた知識と技術とセンスに誇りを持って、
そうでないものに「残念だ。堕落的状況だ。」と批判を行う人。
どちらがいいのだろう。
これはニーチェが嫌悪したキリスト教的精神と
ニーチェが志向した「超人」との違いみたいに100年以上前からある古典的葛藤なのかもしれない。


私自身の中でも、どちらのスタンスも取りたくなる自分がいる。
(後者の立場を取りうる能力があるのかどうかは別として)

服を作る - モードを超えて

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