街並みのノイズについて

7月より通っているヘリテージマネージャー講習のため、
大阪府富田林市の富田林寺内町へ行く。
古い文化には昔から興味があったけれど、
古い建物は最近興味を持ち始めたばかりなので、ここを訪れるのも初めて。
ともに受講している方は、通りの先に見える昭和の低層団地や、
この地区内にある異様に高い建物などを景観を乱すものとして残念がっていたが、
ずっとずっとエンドレスにこの古い街並みが続くと考えると、
それも退屈であると思う。
生き物として何百年も表情を変えないのは不気味でもある。


新しい街並みに取り残されたように申し訳なさそうに建っている古い建物は、
その謙虚さ(私が主観的に感じていることなのだけれど)が美しさの一つなのかもしれない。
寺内町の街並みは見られることを意識しており、我が出ている。
そうでなければ人(観光客)は来ないのだろうけれど。


村上春樹のインタビュー集「夢を見るために、毎朝僕は目覚めるのです」を読む。
BBCのロシアのリスナーからの質問
「Q:文学史の中で、出版されるべきではなかったと思われる本はありますか?」に対しての
村上春樹さんの回答。

「A:つまらない、くだらない、価値がない、と思った本はもちろん少なからずあったけれど、
そういうものは時間の経過とともに、自然に忘れられていくものだし、
あえて「出版すべきではない」というふうには思いません。
世の中からくだらない本、価値がない本がまったくなくなってしまったら、
それはそれで息苦しい世界になってしまうような気がします。
誤差や無駄や間違いを含んで、世界は流れていきます。」

「誤差や無駄や間違いを含んで、世界は流れていきます。」という言葉は、
太宰治人間失格」に終りにある「ただ、一切は過ぎて行きます」とどこか似ており、
少しキザな言葉であるけれど、文学者らしいよい言葉だと思った。


都市もおそらく同じなのだと思う。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです