毛が生えたことば

9月1日発行の雑誌ユリイカ 特集「クマ」を購入する。
生物学的な意味でのクマへの関心からではなく、
プーさん、リラックマくまモン、ダッフィーなどクマキャラがなぜ他の生物よりも愛されるのか、
イヌイットアイヌの人々が神とクマと人間とに特殊な結びつきを感じていたことなどへの関心を、
以前から持っていたので購入。内容もほぼその関心のとおり。
寄稿者は、様々なジャンルなので統一感は欠いている。
また、悪く言えば意外性・新規性にも欠く内容が多い。

(↑classic pooh:Winnie-the-Pooh


特集の巻頭に、「クマよりもたらされしもの(根源をたどる足跡をめぐって)」
という中沢新一氏のインタビューが掲載されている。

・・・
(3.11で)日本人が直感的に目覚めたのは、
いままで自分たちが意識してこなかった広大な世界があるということだったと思います。
知っていると思っていた海がまったく違った荒々しい相貌を見せて襲いかかってきた。
それまで優しく慈悲深かった自然が突如逆襲してきて人間世界の内部をえぐりとっていった
というのは、森の奥に棲んでいたクマが里に下りてきて人間に危害を加えることと、
規模は違いますけれど、本質はつながっています。
人間界に来たクマを猟友会のひとが駆除しましょうとか言っているんだけど、
それは17mの堤防を建てて津波を防ごうというのと変わらない。
自然の力が入ってこないようにブロックしようというやり方ではダメなんだということを
日本人は直感として学んだんだと思います。・・・


「自然」に脱毛処理を施すと「環境」になります(笑)。
真面目な話としても、「自然」という言葉には毛が生えていて、いろんな意味を孕(はら)んでいるんです。
情報化不能なポエティックな次元を孕んだ正真正銘の言葉ですね。概念と言ってもいい。


それに対して、「環境」というのは科学概念で、
「自然」が持っているポエティックな次元は削ぎ落としています。
だからこそ、産業や広告、それから政策なんかとも親和性が高く接続しやすい。
・・・・「生物多様性」という言葉でこの深い問題がとらえられると思っている。
生物多様性」も「環境」同様、防腐処理を施された「自然」であって、
「自然」を見くびって管理できると思っている言葉です。
(48ページ)


ここで言われるポエティックな次元と脱毛された次元の違いは、
普段「自然」「環境」を特に使い分けていないように、
意識しなければ見えてこない次元の違いだと思われる。


例えば「芸術」という言葉は「アート」という言葉よりもポエティックである。
「アート」という言葉は「デザイン」という言葉よりもポエティックである。
デザインに近づくにつれて産業・広告・政策と親和性を増していく。
剛毛がどんどん薄毛になっていって、最後には無毛になる。


中沢新一氏は、このインタビューで、3.11とは別の例えとして、
9.11テロでアルカイダの人々が、アメリカ社会を襲ったのも、
クマが里に下りてきて、村人を襲ってしまうのも、
その規模は違うが、しくみは同じではないかと述べている。
(襲って来ざるを得ない要因が根本に存在するという発想)
このような結びつけをする発想そのものが、かなり毛が生えた発想であるが、
このように結びつける発想の方が、古くから人間がしてきた発想だと思う。


先日来記載しているように7月からの週末、
クリティカル・シンキング(論理的思考、文章表現)を学ぶ講座と、
ヘリテージマネージャー(登録有形文化財になるような古い建物の活用を手助けする人)の講座に通っている。
どちらも、注意深く意識しなければ、
言葉が持つポエティックな部分や、
古い建物が持つポエティックな部分を、
脱毛・防腐処理することが目的化してしまいかねないと思った。


世界の中の毛の生えた部分を尊重することや、
自身の中の毛の生えた感覚を抑圧しすぎないことは、
仕事にもならず、メディアにも乗っかりにくく、法制化も難しいのだろうけれども、
とても大事なことのように思われる。