「伝統を守ることはセラピーである」について

先週土曜(8月10日)に放送されたNHK-BSプレミアム世界ふれあい街歩きスペシャル」で、
ゲストの篠原ともえさんが、「伝統を守ることはセラピーである」という言葉を、
彼女自身がフィンランドを訪れた際に聞いた印象深かった言葉として紹介されていて、
私も印象深くそれを聞いた。


アートセラピーや、音楽療法は、これまでも聞いたことがあったが、
「伝統を守る」がセラピーにつながるという発想は、これまで私の中になかった。


おそらく、ここでいう伝統とは、侘び寂びや伝統芸能といった仰々しいものではなく、
(当然、フィンランドなのでそのようなものはないが)
もっと身近な日常の延長にあるもの、それでいて古代から続いている風習のようなものであると思う。
そして、「守る」というは、固持するというよりも、根絶やしにしないというような緩やかな守り方。


15日から続けて放送大学の講座「新しい住宅の世界」(講師:難波和彦)を眺めている。
http://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H25/kyouyou/B/seikatu/s_1518844.html
他の講座に漏れず毎日90分ある講座の1/3ぐらいはウトウトしてしまっているが、
本日の放送では、住宅に対しての都市計画家の視点と歴史家の視点という対峙で、
ル・コルビュジエヴァルター・ベンヤミンが取り上げられていた。
具体的にはパリの「ヴォワザン計画」と「パサージュ論」を示して。


「パサージュ論」は、ベンヤミンが思いついてはメモした紙の集まりを、
ナチスに追われた死の直前に友人のジョルジュ・バタイユに預けたもので、論であって論でない。

パサージュ論 (岩波現代文庫)

パサージュ論 (岩波現代文庫)


一昨日、たまたまブックオフで「バタイユ入門」(酒井健著)を購入した。
バタイユに興味があったからというよりも、酒井健さんに興味を持っての購入であったが、
少し読み始めると、このような内容に以前から興味を持っていた気もする。

「私は感性的体験によって生きるのであって、論理的釈明によって生きるているのではない。
神秘的なものについて私はある狂気じみた体験を持っている。
それがあまりに狂気じみているので、私がそのことを語ると人々は笑い出すかもしれない・・」
(「内的体験」出口裕弘訳からの引用)の引用 本書8ページ


どうしても、そのような興味は、オカルト的にとらえられてしまうけれども、
「伝統を守ることはセラピーである」というシンプルな言葉のように、
上手く説明できない論理的でないものが含まれていたほうが自然であると思うし、
それは、日常品、服飾、建物などでも言えることだと思う。


「伝統を守ることはセラピーである」は言い換えれば、
「伝統を守っていたほうが、心身のバランスを保てる」という意味だと思う。

バタイユ入門 (ちくま新書)

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