モダニズムとふつうの人

今までに比べると早く帰宅できる日が増えた。
家の近くの図書館は最近夜9時まで開館するようになったので、
今週木曜8時すぎ立ち寄る。


雑誌コーナーで芸術新潮8月号の特集「知られざる丹下健三」を眺める。
丹下健三の建築をいいと思う建築の専門以外の人(ふつうの人)は、
どれくらいいるのだろう・・と思う。

芸術新潮 2013年 08月号 [雑誌]

芸術新潮 2013年 08月号 [雑誌]


以前購入したGAJAPAN121号でのインタビューで、
藤森照信さんがふつうの人々と専門家の乖離について述べられていて興味深かった。

20世紀でもっとも純度の高い建築はグロピウス。
場所・歴史・自然について一切触れていない。
その割と近いところにいるのがミース
ちょっと離れたところにいるのがコルビュジエ
もっと離れてくるとライトがいて、
一番離れているのがガウディです。


専門家の評価としてはこうですが、
素人の評価はまったくひっくり返る。


「歴史・時間」「場所」「自然」「素人」この4つが
おそらくモダニズムが積極的に取り込まなかった問題群で、
今それらに(現代建築の持つ不完全さを)突かれ始めている。
・・・


「素人」は20世紀が初めて生んだ問題で、
20世紀以前は、専門家が「ネオ・バロックがいい」と言うと、素人もそう思っていた。
アール・ヌーヴォーまでは素人もスーッと入れたと思います。
だけど、20世紀建築、特に1920年代以降は、
そこに入っていけない素人たちがたくさん出てきた。

・・・

(今でも素人のアメリカ人に人気がある建築家の)ライトの
有機的建築の理論は、簡単に言えば、建築を木に例えて、
プラン・構造体が幹で、細部の装飾は木の葉っぱであると書いている。
彼にとって装飾は必然で、葉っぱなしに木は成立しない。
だからライトから見るとコルビュジエやミースは
「お前ら、樹の幹だけで建築つくってるんじゃないか」と思うわけ。

「お前ら、樹の幹だけで建築つくってるんじゃないか」という指摘は、
丹下健三の建築にもある程度あてはまると思う。


私が、建築に興味を持った高校3年生の時、
この図書館の1m幅程度しかない建築コーナーに置かれていてよく見たのも、
外国の建築家ではライトの建築論、ガウディの作品集であり
(グロピウスやコルビュジエなどなかった)
彼らのようなものが建築家だと思っていた。
今でも、建築家の建築のイメージのゼロ地点にガウディとライトがいる気がする。


上のインタビューの中で、藤森照信さんは

「素人」の問題は、(現代建築は)これからも無視していくだろうと思います。
取り込んだら最後、建て売り住宅とかいろんな問題をはらんでいますからね。

とも言われている。これは、素人もスーッと入れる建築を、
現代建築が再度目指すことはやめたほうがよいということなのだろうか・・


という違いは、学問的な知識としてしか認識できておらず、
私自身も含め、多くの建築関係者は意識的に
「「歴史・時間」「場所」「自然」「素人」を取り込まないでおこう」とも思っていないし、
「今まで取り込んでいなかったから、これからは取り込もう」とも思っていない。


それら4つの要素についても、現代建築の定義についてももっと自覚的でありたい。


↑6月に撮った国立代々木競技場(1964年)

GA JAPAN 121

GA JAPAN 121