学術標本とイマジネーション

昨日、大阪府ヘリテージマネージャー育成講座で、
大阪大学総合学術博物館について聞く機会があった。
大阪大学には166万点の収蔵品がある。
学芸員のいない体制で、コレクションを整理するのは年間せいぜい5000点が限度であるから、
(単純計算すると330年かかる)隅から順にという整理の仕方をあきらめ、
テーマ(企画展)を設定し、それに関連した資料を整理していくというスタイルで整理しているとのこと。
(その方が整理する人のやる気も沸く)ここで整理されるのは、
学術標本と言われる極端に言えばそれを使用した教授、学生以外にとってはほとんど価値を理解できない物々。
それらを一般向けに展示するには、流れのある意味付け(ストーリー)が欠かせないとのこと。


東京大学総合研究博物館は600万点という圧倒的な数の収蔵品があるが、
何の説明文もなしに展示するというスタイルをとっており、素材としてのアートで勝負している。
そのスタイルで今春開館した東京駅前丸の内JPタワーの分館も好評とのこと。
INTERMEDIATHEQUE


博報堂の雑誌「広告」2007年3月号でも、東京大学総合研究博物館が取り上げられていて、
その中で原研哉さんが語った言葉が印象深い。

西野先生(西野嘉章)と石器時代の「石器」について対談をしたとき、
80万年前あたりの石器を初めて触ったんです。
石器って百万年くらい型が変わっていないらしいんですね。
それを実際に手で持った瞬間に「あ、なるほど」と思った。
石器はセンスウェアだと。石の硬さとか、重さとか、加工性とかが人間をやる気にさせたんですよ。
石というセンスウェアが、石器時代という文化をドライブさせていく力を生み出したんだと思うんです。
要するに、石や紙のようなものが、人間の感覚を鼓舞してやる気にさせる、
文化を作っていく気持ちを盛り上げる力を持っていたんじゃないかと思うんですね。(51ページ)


似たようなことを松木武彦著「日本の歴史1:列島創世記」で読んで、
それ以降私自身の石器に対して見る目が変わった。(面白くなった)

約60万年前以降、後期アシューレアンと呼ばれる段階になると、
握り斧のなかにとくに丁寧につくられた精製品が現れる。・・・
ほぼ完璧な左右対称と、精緻な打製石器独特の表面の質を実現した逸品だ。
動物を解体して肉をはずすという機能に、ここまで注意深く手の込んだ細工はいらない。
ただ使う目的には不必要な「凝り」だろう。・・・
実用性を超えた「凝り」をどこかに盛り込むという、ヒト固有の道具のはしりといえる。
(24ページ)

旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記 (全集 日本の歴史 1)

旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記 (全集 日本の歴史 1)

そう言われてみると、日本の石器も似たような木の葉形状が多い。
それまで、そこまで深く考えたこともなかった。



先日、東洋陶磁美術館で開催されていた(本日終了)
「森と湖の国 フィンランド・デザイン」という近現代のモダンデザインガラス・磁器の
展示を見たが、そのよさがまるで理解できなかった。


それは、北欧デザインに対しての私の知識不足、
あるいは、個人的趣向の問題かと思ったが、石器の経験を踏まえると
「日々使ってみてどうなのか?」という視点が抜けていたから、
魅力に気付けなかったのかも知れない。


貴重な借りている品物では、現実的に不可能なのだろうが、
使ってみる。少なくとも触れてみるというところまでできれば、
もう少し理解も深まったのかもしれない。