新しいこと・フラット

先週、図書館で谷口吉生氏の鈴木大拙館が掲載されている「新建築」をコピーした際、
その巻頭に槇文彦氏の論文「漂うモダニズム」が掲載されていたので、合わせてコピーした。


仕事への行き来で、それを読む。
このモダニズムがどこでどう漂っているのか?という本題とは別に、以下の部分に興味を持った。

思想も、方向性も、スタイルもない、なんでもありの大海原の中で、
尚、傑出した社会的欲望はふたつあると思う。
ひとつは進歩に対する信仰であり、
もうひとつは従来の建築の規範を破る試みにある。
(新建築2012年9月号46頁)


槇氏は、建築は空間化、建築化、社会化というプロセスをたどるとし、
その建築化の話の中で上記のように述べている。


「新建築」という雑誌に掲載されているからではなく、
新しいこと(より強く、より快適という部分の進歩とは別の次元の新しさ)を重要なこととしているのは、
確かだし、「今までに体験したことのない新しい空間を作ることに使命があるし、醍醐味がある」
というような発言を建築家がするのを何度か聞いたことがある。



私個人は、昨年このブログでも引用した博報堂の雑誌「広告」の中で、
マルチプル(多様性)な人、社会 - 心象図録
広井良典氏が定常期社会モデルの解説で述べられていた

・歴史とか時間軸ではなく、空間や地理が重要になる
(進んでいる・遅れているという座標軸が弱まる)

という流れにとても共感しているので、
本当に人々が(少なくとも現在の日本の人々が)進歩をいつまでも欲求として
持っているのか懐疑的であるし、
また、「進歩のために(今まで体験したことのない何かのために)」という
努力のベクトルには、走りたくない気がする。



今週仕事からの帰路、ブックオフに立ち寄ると、
ちくま学芸文庫の「フーコーコレクション全7巻」が完品で並んでいた。
amazonほしい物リストにも長らく入れていたので即購入。
あわせて、白洲正子の「名人は危うきに遊ぶ」「白洲正子自伝」を購入。


「名人は危うきに遊ぶ」の中の、『MOA美術館を見て』を読む。
熱海にあるMOA美術館を訪れた感想・美術評などを述べている。
30年も前の文章なのだけれども、本当に美術品を味わっているような気分にさせる心地良い文章。


この文章も、最新の雑誌に載っている評も、
今はフラットに横並びになっている時代なのだと思う。


名人は危うきに遊ぶ (新潮文庫)

名人は危うきに遊ぶ (新潮文庫)

漂うモダニズム

漂うモダニズム