「KINFOLK」のCOMFORTな視点

ゴールデンウィークの前半、BSの番組で立て続けに安藤忠雄さんが出演されており、3番組録画して見る。

・4/29 BSTwellV 就職を機に世界と人生を考える!BS寺島 月9トーク「ゲスト 安藤忠雄
・5/2 BS日テレ 加藤浩次の本気対談!コージ魂!!「ゲスト 安藤忠雄
・5/2 BSJAPAN 日経スペシャル 私の履歴書安藤忠雄


まったく重複しているわけではないが、これまでの番組と同様の切り口の紹介(独学、双子、ボクサー、海外渡航
そして若者世代(特に1980年以降生まれの世代)への苦言などが続く。
そんな中で BSTwellVの寺島実郎氏の番組で語られた「環日本海海洋牧場構想」
(中国、北朝鮮、韓国、ロシア、日本が日本海の豊かな漁場が豊かな漁場であり続けるために、
共同維持管理しようという構想。安藤さんは、首相が変わるたびにこの構想を提言しているという)
は、それまで、日本海が5カ国に囲まれた内海という見方を持たなかったので、興味深かったし、
単純に領有権をめぐって睨み合うよりもずっと建設的な話だと感じた。


もう一人の巨塔、伊東豊雄氏へのインタビュー記事(2013年5月2日付)も興味深く読む。
日経アーキテクチュアのネット記事「伊東氏の「脱作品宣言」と学会賞『作品賞なし』に思う」宮沢洋
伊東氏の「脱作品宣言」と学会賞「作品賞なし」に思う|日経アーキテクチュア

一部分を抜粋する。(すべて伊東氏の発言)

 僕はそろそろ建築から「作品」という概念が消えたほうがいいと思っている。
なぜなら、これからの社会は、作品表現よりも、設計プロセスのほうが重視される時代になっていくはずだからだ。


 設計プロセスでは「対話」が重要になる。
僕自身は、公共建築を手掛けるようになってから、対話を重ねながら設計してきた。
それが自分のスタイルなのだと考えていたが、最近は建築界全体がもっと対話を大切にしてほしいと思うようになった。
特に、若い人たちには、そのことを強調したい。


(しかし)建築界のシステムが、斬新な個を求めている部分はある。
例えば、設計コンペなどは、個を強く打ち出さなければ勝ち残れない。
だから、どうしても作品という概念が強くなってしまう。
そんななかにあっても、少しずつでいいから、個を表現した「作品」というよりも、
社会に通じた「建築」なんだと言えるようになっていかないといけない。
もう少し社会と共有できるものを見つけていかないと、
これからの時代の建築家は社会に組み込まれていかないのではないか。
若手を中心に、今の建築家には社会性が欠けているように感じる。


そう考えていくと、近代主義のなかで輸入され、先輩から僕らまでの世代が洗練してきた建築は、
やっぱり“借り物”だったんじゃないかという疑問に突き当たる。


 「日本建築学会賞」という言葉にさらに「作品賞」と付け加えることで、
一般の人たちに「専門家にしか理解できない芸術的な建築を選ぶ賞」という印象を与えている気がしてならない。
あくまで推測だが、新聞やテレビなど一般のメディアがこの賞の結果をほとんど報じないのも、
その名称によるところが大きいのではないかと思う。


もし、伊東豊雄さんがこの主張を評価されてプリツカー賞を受賞されたのであれば、
それは、とてもすごいことだけれども、おそらくは彼の作品的な独自性を評価されてのことだろうし、
また、彼がそういった作品性を捨てて、「普通の人々が普通に求めるものがやっぱりいい建築だ。」
と言っても普通の人々にとっては、「どうしてそんな単純なことを今まで気づかなかったのか」
と言われることなのかもしれない。これまでの建築とは違う建築の回答としての、
復興の「みんなの家」は、私個人としては、ぼんやりしすぎていると思う。
(地域住人が求めた縁側や庇を受け入れたというだけでは要求として貧しいし、
受け入れても充分に作品的であると思う)


後半のゴールデンウィークは休みが取れ、2日目は難波へ、心斎橋のスタンダードブックストアで、
「中身化する社会」菅付雅信著を購入する。

中身化する社会 (星海社新書)

中身化する社会 (星海社新書)

中でも第2章 ライフスタイルが「競争的」になる が興味深かった。


20世紀を代表するファッション・化粧品・広告といったイメージ産業が、
近年のSNSの台頭で、力を弱め(本書の中では「魔法が解けた」と表現されている)
工芸、音楽、食、流行、ものづくり、広告、ライフスタイルといった消費全般に対して、
よりシンプルで本質的なものを求める傾向が高まっているという。
(中身化とは=COMFORT(本質的な)、イメージの対義語として使われる)

もはや外見の第一印象はそれほど重要ではない。
なぜならすでにネットの検索結果が、その人の第一印象を与えているのだから。


<音楽>
アデルの成功は、音楽ファンを音楽業界が馬鹿にしていたのでは、
という疑問を浮かび上がらせる。レディー・ガガやリアーナ、クリスティーナ・アギレラなどの、
ポップ・ミュージックのポルノ化や変人祭りへの反抗が、そこに見て取れる。


<ファッション>
ソーシャルメディアが見栄を殺したことで、
ファッション業界が「カジュアル化」「コンフォート(本質)化」しつつある


<広告>
今日作られている多くの広告は、目立つものを作りにくくなっているように感じる。
また、特に今は広告に対して人々のネガティブな感情が向かっている。
人々は、広告が自分たちの生活を撹乱するもので、日々進化する情報の爆撃と見なしている。
(シャノン・クライマン)

メディア的な上の立場から「どうだこの情報くらえ」みたいな感じじゃなくて、
身の丈から思うことを言わなきゃいけなくなった。


<食>
オーガニック・レストランの世界では、華美な外観や内装も逆に嫌悪される。
生産者がはっきりとわかる良質で安全な食材を的確な技術で調理し、肩ひじの張らない
居心地よい空間で提供すること。それがそこでは求められることで、
イメージよりも中身、本質的な食の安全性のほうが、はるかに大事なのだ。


98ページからの「ソーシャルグッドなライフスタイル誌の台頭」という節で
取り上げられているアメリカ西海岸発の雑誌「KINFOLK」は、シンパシーを感じる。
http://www.kinfolkmag.com/manifesto/


マニフェストには

『キンフォーク』のすべての要素(記事、写真や全体的な美意識)はすべて僕たちが
こうあるべきだと思うやり方で貫かれている。
それはシンプルで、複雑でなく、そして作為的でないこと

と記されており、


編集長 ネイソン・ウィリアムズは

僕らの雑誌の目的は、食と娯楽の社会的要素を追求すること、
そして、コミュニティの新しいあり方を示して、それを奨励することにある。
僕らは読者に、自分たちの生活にもっと意識的かつ注意深くあってほしいと思っている。
僕らはもっと満たされた生き方をしたいと思っているし、意味のある生活を見つけたいと思っている。


今は、安易な情報とヴァーチャル・アクセスの時代だから、人々は逆にもっとシンプルで、
意味のあるライフスタイルを送りたいと思っている。


クオリティのある生活は、もっと気軽に持てるはずでは?と人々は認識し始めているし、
クオリティのある生活は、そのために仕事をする価値があり、
そしてそれこそが人生を満たすものだと、みな思うようになっている。

同じ節の中にある別の人(Hanna Sandström)氏の言葉を用いれば、

基本や原点に回帰し、物事の本質やコアを探ること。
イメージやテクノロジーに翻弄されず、情報制度の高い、能動的で賢い消費者であること。
物的価値ではなく精神的価値を求めること。

が、アメリカでは徐々に求められているとのこと。
ヒッピームーブメントなど似たような流行は、これまでもあったかもしれないけれど、
螺旋状に、かつての流行よりはより本質的なものになっていると思う。


という視点から見れば、伊東豊雄氏の意気込みはどこまで本気なのだろうと思う。
対話をベースにしながら、あたたかみある建築を作り続けてきた優しい建築家は、
昔も今も、ある程度、日本にもいると思う。


私個人としては、そういった社会になれば心地よいと思うが、
社会はきっとそういう状態にすぐ飽きるだろう。

Kinfolk Volume 7

Kinfolk Volume 7