海外開拓、キャラが立つこと

金曜夜、NHKBS1 エキサイト・アジア「第1回」を見る。
カンボジアでテレビの部品工場の責任者を任された男性、、
ベトナムで日本の学習塾を広めようとする男性など、
海外に赴任して、懸命に働く人々を映したドキュメント。


皆、日本に家族を残し、
朝の一時や、食後の僅かな時間で、テレビ電話などでコミュニケーションをしている。



カンボジアでは、それまで一度も働いたこともない、
文字の読み書きも充分でない村の人々に働くことを勧めに行き、
マイクロバスに載せて工場の見学をさせる。


命ぜられて、その命ぜられたことに、
自分なりの価値を見出し、悪戦苦闘しながら、
様々な試練を乗り越えながら、事業が軌道に乗り始める。



そのような中から、
奥田碩(元トヨタ会長、元経団連会長)のような人が生まれるのだろうけれども、
その頑張り方は、私がとても嫌いな軍隊的な匂いがし、
それが本当に現地の人々のためになっているのか、
それとも、単純に中国の賃金高騰からフロンティアを東南アジアへ広げているだけなのか、
よくわからないことが余計に、この状況の理解を困難にさせる。
結局、この構造はグローバル化を端っこまで完結させれば、そこで全体が機能不全になってしまうだけの気がする。



先週見たBS歴史館では天明の大飢饉が、東北地方に甚大な被害をもたらしたのは、
藩の政策担当者が、貨幣的価値を持つお米のみに生産を集中させたことが原因だと言われていた。
(お米は本来、九州的な気候に適しており、生きるためを考えるならば、東北では雑穀(アワなど)を
栽培した方が合理的であり、江戸時代以前はそのようにしていたとのこと。)


カンボジアの村の人々は、そもそもテレビとは何かを知らない人々が多い。
だから、テレビとはこういうものだという説明をしてから、自分が何を作っているのか
わかってから作ってもらう。と説明されていたが、不自然に思えた。
チョコレートや、コーヒーや、ダイヤモンドと同じで生産者と作っているものの距離が遠い。



隈研吾さんの近著「建築家、走る」には、それでも海外に出て行かなければならない、
国内側の事情が記されている。

昔の建築家のアイコン確立のプロセスは、住宅から始まります。
実家でも親戚でもいいいから、タダみたいな設計料で、小さな住宅を設計して、
とにかくまずは自分のキャラクターを誇示する。それから小さい美術館、
次にもう少し規模の大きな文化施設、という段階があり、そのすごろくに沿ってコマを進めていけばよかった。

(中略)

その後、ぼくらの第四世代になると国内の建築需要は満たされて、そこに走る場所はなくなりました。
ということで、国際レースに駆り出されて出走するしかない時代に、ぼくらは放り出されたわけです。
その厳しい状況は日本だけに限りません。また、建築だけにも限りません。
製造業にしろ、金融にしろ、それまであった国内の安定的な相互依存と相互受注システムは、
グローバリゼーション以降、あらゆる国で失われていきました。
その結果、孤独な競走馬として国際レースを走り続けるしかない役目が、
あらゆる人たちにに課せられるようになりました。
一人の建築家としては、時間も予算も余裕もある中で、ゆったりと設計に向き合うことが理想です。
でも、現実はレースに引っ張りだされなかったら仕事がない。
仕事がなければ事務所も自分もつぶれる。つぶれないために、休みなしに走り続ける。
そういう過酷な馬場に引き出されてしまったのです。
(15頁)

建築家、走る

建築家、走る


昔のすごろくのイメージをまだ、持っていたが、
もうそのようなすごろくは用意されていないらしい。



先週も記した「たまこまーけっと」が、金曜日朝の「おはよう関西」でも、取り上げられていた。
アニメの舞台となる商店街のモデルが、京都出町柳にある出町桝形商店街だとファンの間で知られ、
たまこまーけっと 聖地巡礼地図
多くの人が聖地巡礼にこの商店街に訪れているとのこと。
このアニメの監修協力をした京都文化博物館学芸員の方がインタビューに答えられており、
商店街としては、もっとキャラクターを全面に押し出してもっとアピールしていこうという案も出たらしいが、
それはやめたほうがよい。と助言をしたとのこと。
もっと、普通のありのままの姿の商店街をアニメファンは望んでいるとのこと。


この指摘は正しいと思った。
ゆるキャラB級グルメなど、とにかくアピール材料づくりと、「キャラが立つ」ことに躍起になっているが、
自分自身からそのようにアピールすることは、見たくないし、やりたくない。
デザインすることと、そうすることは根本的に違う・・と思いたい。