発信すること・しないこと

「Nexus7を半年近く使い続けてどうなのか」
という情報を知りたいのにもかかわらず、
ネット上には、買ってすぐ、あるいは買って一週間使ってみた感想ばかりが溢れていて、
結局、欲しい情報にたどり着けなかった。。


レビューをする人は次々、新製品ばかり追いかけている。


私自身もGoogleが次に開発しているGoogleGlassの方に目移りしてしまい、
Google Glass

このプレゼンテーションを見ていると、グーグル社のSergey Brin氏が言う、
スマートフォンタブレット型端末は、人を無力化・骨抜き(emasculate)にしてしまう道具だ」
という主張もまともに聞こえる。


逆に、Google Glassにも、自動車にも、他の素朴な道具にも頼らない状態が、
人間にとって最も骨抜きでない状態なのではないかとも思えてくる。
今まで意識したことのない人間の野性的な強さ、想像力が出てくるのでは・・と思う。



夕刻、祖母のお見舞いのあと、ブックオフに立ち寄り、
吉田修一の「横道世之介」などを購入。
読み始めたけれども、文体や表現が映像的で軽く、乗れない。



先々週、講演を聞いた安藤美冬さんが、今朝「いいとも!」のテレフォンショッキングに出ていたが、
タモリさんとのトークというよりお客さんへのセミナーのようでとても違和感を感じた。
「主張せねば。この機会を逃してはならない。」という安藤さんのスタンスと、
何をしている人なのかよりも、「普通の人と変わらないな」とか「意外な一面があるな」という話だけ聞ければよいのだ。
という「いいとも!」のスタンスが食い違っており。
その食い違いがそのまま、社会の食い違いを表している。
安藤さんのスタイルにコンセプトがあるのと同様に、いいとも!的なもののスタイルにも、
くだらないようでいて、固く、なかなか変わらないコンセプトのようなものがあるのだろう。
私は、どちらのスタンスにもなじめない。


ただ、この番組を見て思ったのは、
発信することばかりが、表現の手段ではないということ。


少しそれるが、
南直哉氏が、それまでオーラが出るような威厳ある坐禅を理想としていたけれども、
108歳で亡くなられた永平寺第78世貫首宮崎奕保禅師の坐禅している姿を見て、
本当に木彫りの人形にしか見えない状態だったことに感動し、
それが正しい状態なのだと思い改めたと書かれており、
世間の評価はどうなるかはわからないけれども、
そういうことなのだろうと思った。


禅とハードル

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