個人的なこと・シンプル・地域・スロー

数週間前から89歳の祖母の足の調子が悪く、引きこもりがちになっている。
とのことで、先週日曜日訪ねる。
玄関は閉まっており、裏の勝手口から入る。
祖母は布団の上に座っており、テレビも照明も付けていなかった。
玄関の前には、アルミの保温材のようなものに包まれた箱があり、
重さからして、それは宅配食だと思い。(半月前から宅配食を頼むようになった)
もう届いていたと家の中に持って入ったが、どこにも開け口が見つからず、
このような梱包を高齢者が開けるのはとても無理だと祖母と話しながら、
無理やり破って開けたアルミの梱包の中には辞書のような分厚い書物が入っており、
それが、お弁当を入れた発泡スチロールの箱を猫が開けないための重しだということに気付いた。
最近よく宅配食の広告を目にするが、時代のニーズとはいえ、やはり寂しい。



その祖母がやっぱり足が痛くて、日常生活にも支障をきたすとのことで、
近くの総合病院に入院したので、本日訪ねる。


大半の面倒を見てくれている叔父が来ており、しばらく3人で話をする。
今朝、祖母の家の近くの借家の長屋にパトカーやら救急車やら多くの人が集まっていたが、
おじいさんが死んでいたとのこと。新聞受けには新聞が溜まっていたが、
鍵も内側から閉まっており、しばらく発見されなかったいわゆる孤独死のよう。
地域の民生委員が、ある程度見回りはするが、すべての独居老人の家をコンスタントに回るのは実質不可能である。
特に男の人は地域とのコミュニティが形成されないまま老人になりがちで、変なプライドが邪魔したり、
他愛もない話ができなかったりで、孤立してしまう。と以前作家の渡辺淳一さんが言ってた。



地域のJAの創立15周年(組織再編後15年)の記念誌「河内の風土記」が、家に届いており眺める。
農協なのでどうしても農耕民のことを中心に書いてあるが、地域の方言(関西弁の中でもこの地域にしかない方言)や、
組合員提供の昔の地域の写真など、それなりに充実した民族学的資料になっている。
中でも郷土食を紹介するページは、興味深かった。
生節の押し寿司や、南京雑炊(かぼちゃとそうめんを入れたおかゆのこと。記念誌のなかでは「夏のおみぃ」という名称で記されている)
などは、確かに小さい頃よく食べていたものである。地域の名産品というわけでもないこれらの料理が、
郷土料理として紹介されることに意外性を感じたし、そのようなことに無自覚に食べていた自分もまた新鮮だった。


これらの郷土料理は、決してそれをアピール材料としてB級グルメ的に発信していくものでもないし、
また、そうするほど絶品でもないのだろうけど、こういう普通のものが、いつのまにか食卓に上らなくなって
しまうことに寂しさを感じるし、どんどん薄っぺらくなってしまっている感じがする。


前回2月10日に記した「いざなぎ流」という高知県の信仰について、
シリーズで揃えていた学研ブックスエソテリカ「陰陽道の本」に特集されていることを発見した。
神仏習合的なものと捉えていたが、陰陽道的な要素も多く含まれているとのこと。
陰陽道安倍晴明ブームの時に繰り返されたSF的な世界でしかイメージできないけれども、
神道仏教を混ぜるという発想においては、当然今宗教としてそれなりに組織的に残っている
その2つが純粋に混ざるだけということはありえず、この陰陽道修験道や恵比寿信仰や大黒信仰など
様々なものが混じってくるようである。


話は大きく変わるが、先日会社で、Panasonicの提案を受け、
i-X(イークス)というユニットバスのデザインのシンプルさに刺激を受ける。
CONCEPT | QUALITY | i-X | Panasonic
これはもう数年前から続いている深澤直人監修によるデザインであるが、
自分がミニマムなデザイン、およびミニマムにしていくという作業・プロセスが好きだったのだと思い返す。
といっても、ジョン・ポーソン氏のミニマムはあまり好きではなく、これまでの深澤デザインもあまり好きではなかった。
ミニマムの中でも好きなものと嫌いなものがある。
しかし、自分の中でデザインするという行為は、シンプルにする無駄なものを削ぐという意味に近い。
(ほんとうに無駄なもののみ削ぐ)
ミニマムとスローというキーワードを大学時代の後半すごく意識し、
そのような働き方ができないものかと思い悩んだけれども、
10年近く経過した今。あらためて思い返す価値はあるなと思った。


シンプルであること・いそがない生活形態・過去と適度につながること・地域と適度につながること
それらが連環すればよいのだけれど。


経済成長は大切なことだけれども、私個人にとってはこれらのことの方が大切だ。