変わること

ブラジル アマゾン川の奥地にピダハンという部族が暮らしている。
彼らは400人程度の少数部族であるが、独自の言語を持っている。
しかし、彼らの言語には、色彩に関する言葉、数字、過去、未来がないなど、
他の言語に見られない特異な構造を持っているという。
文字もなく、農耕もなく、定住する家もない。
それでいて、彼らは彼らの周辺を取りまく動植物すべての名前を知っているのだという。


昨日、Eテレ 地球ドラマチックで放送された「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」
というオーストラリアの放送局制作の番組を見た。


彼らの言語を解明したのは、ダニエル・エヴェレットというキリスト教伝道師らで、
当初は彼らピダハンに神の言葉を伝えようと何度も足を運び、ともに暮らすのだが、
「彼らは今のままでも充分に幸せであるのに、神の言葉が本当に必要なのか?」と
自問するに至り、とうとう一人の信者も生むことなく、彼自身も神への信仰を辞めてしまう。
(現在は言語学者として彼らの言葉を研究している)


と、彼らの文化の独自性だけを伝える内容だけでも興味深い作品であるが、
その後、彼らの言語を本格的に解析するためにダニエル・エヴェレット自身が再び
マサチューセッツ工科大学の研究チームを連れて現地へ赴こうとするのだが、
FUNAI(国立インディオ基金)の許可が下りず、取材班のみが行く事になる。


行ってみると、そこは2年前に取材した原住民らしい生活から一変し、
定住する家もあり、照明もあり、テレビもあり、学校では算数が教えられていた。
というところで終わる。(これらの文明化はブラジル政府の開発支援によるもの)
みすず書房から出版されている彼らを取り上げた本では、
このドキュメンタリーで描かれている現在の様子は記されていないようである。


今までは「そのような文化は野蛮だから捨てよ」と強制的に文明化させられるイメージがあったが、
ピダハンの場合はそういった強い強制と抵抗の対立があるわけではなく。
便利な方、疫病の少ない安全な方へと自主的になびいていった印象。


その様子は、彼らの言語、文化が持つ独自性の学問的価値を考えればがっかりであるが、
生物多様性・文化の多様性を保つためには、彼らと西洋文明との接触を可能な限りさせるべきではない。」
という考えが、絶対的に正しいとも言いきれないとも思われた。
(はた目で見れば保護すべきだと思うが、私自身はそのような生活はしたくはない)


ピダハンの人自身が、
「文明が入ってきた今の生活は良い面もあれば、悪い面もある」と冷静に言っていたのは印象的。
そこまで言ってはいないが「変化はしてもピダハンはピダハンだ」ということなのだろうと思う。


逆に、私の中にある変化に対して保守的な部分を再検討してみたいと思った。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

再放送あります。
12月24日(月) [(日)深夜] 午前0時00分〜0時44分
http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/296.html