主題が見えない

昨日は、新しく建てる建物の周辺住人への説明会があり、
心、疲れる。
私が説明したことと、相手が要望しようとしていたことが、
そもそも食い違っていたかもしれないと終わってすぐ気付いたが、
話は特に大きくならなかったし、弁明すると逆に悪い方向に向かってしまうこともあるので、
「しまった、しまった。」と思いながら帰路の電車に乗った。
朝、起きてすぐはその感情を忘れているが、またすぐに頭の中にその感情が注がれる。
しかし、忘れているだけで、そう感じた過去の出来事は数えればきりがない。
「忘れる」は生きるための大切な機能だと改めて思う。



日曜の朝、起きてすぐ、いつも聴いていたラジオ「桂米朝よもやま噺」が、
朝5時という異常な時間に移動してしまったので、日課がなくなり、
起きてしばらく本を読む。


「スリリングな女たち」

スリリングな女たち

スリリングな女たち

著者は田中弥生さん、
2008年「文藝」で特集された2000年代の作家一覧で、
綿矢りささんについて評していた人で、当時も、
「なんて的確な評ができるのだろう」と思ってたが、
やっぱり彼女らに特別な関心を寄せていたのであろう。


鹿島田真希
本谷有希子
綿矢りさ
金原ひとみ
島本理生
柴崎友香

という若い世代の作家が取り上げられている。


綿矢りささんについては、
「かわいそうだね?」と「亜美ちゃんは美人」の2作品について記されていて、
何気なく登場する小道具、子供の頃見た映画、会話中に話される怖い話などが、
作品の主題としっかり絡んでいることが解説される。


そもそも主題など意識せずに読んでいたが、
言われてみると実にしっかりした主題を持っており、
またそれは作品だけに完結することなく綿矢さん自身の主題にも通じている。
そして、それは私たちの生活する日々にも通じている。


もちろんそれは、売るための手法などではなく、
また、推理小説のような謎解きを意図したものでもない。
小説とはそういうものなのかとあらためて関心した。


そのようなことを考えているといくらか自分が客観視でき、
心の抑揚も何か一つのリズム・形状のようにも思えてきて、心が安らぐ。


今は田中弥生さんのような人の力を借りないと、
主題すらも見えてこないけれども、
早く読み解けるようになりたい、せめて好きな作家の作品ぐらいは。

かわいそうだね?

かわいそうだね?