ゲーム軽視

9月12日に母が、自転車どうしの事故で
大腿骨転子部骨折という大怪我を負った。
手術、入院、リハビリという長期間の治療を強いられ、生活に大きな変化が生じることが予想される。
実家暮らしで生活の大半を依存していた私は、
クルマエビの値段、洗濯バサミのバネが弱っていること、
近所の人、親戚の人、借りている駐車場の所有者の人など
今まで、見ている暇がない、見るきっかけがないと割り切っていた「もの・こと」が
急に見え出し、机上の社会学としてしか意識しなかった地域のコミュニティや、
家事などのシャドーワークの価値を改めて感じつつある。
今はよい部分しか見えていないが、嫌な部分もまた見えてくるのだろう。



安静のベッドでの退屈しのぎにと、ニンテンドー3DS LLと、
ペットのソフトとマリオブラザーズを購入し、病院に持って行き、
中高年でもできるものなのかと試しに自分でやってみる。
「娯楽のためだけに時間を費やすのはもったいない」と私個人的には考えており、
中学以降ゲームはしておらず、今もはまる気はしないが、それらでしのいでもらうより他ない。
(同様に、軽んじて見ていたアニメには最近になって大いにはまっているのだが・・)


「群像」8月号に綿矢りささんの短編小説「人生ゲーム」が掲載されている。
近くの図書館で借りてきて読む。
主人公とその友人2人の人生がさらっと過ぎていく昼寝の夢のように浅い内容。
小6のときに3人でやっていた人生ゲーム(ボードゲーム)の途中に割り込んできた友の兄の友達
(実際には友達ではないことが大人になってわかる)が、ペンで黒丸をつけたマスのイベントが
3人の身にそれぞれ不幸な出来事として起き、最後に老人になった主人公のもとに、
再び、小6の当時のままの姿で、兄の友達が現れ・・という話。
正直、特によい作品だとは思わなかったが、
この兄の友達は、超越的な存在であるがゆえに、なんともつまらない存在だと感じた。
おそらくこの作品の「人生ゲーム」は、本当の人生そのものの隠喩なのだと思うが、
それに乗れない(気分的な意味でも)ことは、虚しいことだ。と彼を介して感じた。


リア充」という言葉があるが、
「リアルが充実する」という定義は、とてもあいまいで、
リアルな出来事のかなりの部分はフィクションっぽいし、
フィクションっぽくないというものは、それはそれでまた、
リアルでない気がする。という思いつきもまた、多く論じられ体系化されているのであろう。


群像 2012年 08月号 [雑誌]

群像 2012年 08月号 [雑誌]

ニンテンドー3DS LL ホワイト

ニンテンドー3DS LL ホワイト