スローフードと顔の見える化

スローライフという言葉に興味を持ったのは10年前、
LOHASという言葉に興味を持ったのは5年前、
それぞれ共鳴するけれども、今の生活にどのように落とし込んでいけばよいだろう
と模索しつつも行動には結び付けないまま、その言葉自体もあまり聞かなくなった。

http://www.slowfoodjapan.net/


5月1日に発売された宮台真司さんの本を読んでいると、
ロハススローライフスローフードという言葉を久しぶりに目にした。
宮台さんのブログで過去に遡ってみると、結構頻繁にスローフードについて言及しておられる。


宮台さんの主張は一貫していて、
スローフードは食事・食品のあり方への問題提起ではなく、
「社会を維持する」「地域を空洞化させない」ことへの問題提起であり、
多少、不便でも、安くなかったとしても、地域で消費しようという社会形式の提案であり、
社会の健全化とともに個人の精神面の健全化にもつながるという主張。
これは宮台さんが最近よく言われている
1:〈任せて文句を垂れる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ
2:〈空気に縛られる社会〉から〈知識を尊重する社会〉へ
3:〈行政に従って褒美を貰う社会〉から〈善いことをすると儲かる社会〉へ
とも一致するものである。


私自身、興味を持っていたと言いつつも、スローフード運動について誤解していた部分が多く、
誤解しているあいだに、私の家の近所も、スローフード運動とは逆の方向(グローバル化)に姿を変えたが、
私自身は「ゲオも、ドラッグストアもできたし、便利になったものだ。」と感じ、
地域コミュニティとのつながりがほとんどない生活をしていた。


以下宮台さんのブログ掲載テキスト、長い引用になるが、とても整理されている文章なのでそのまま転載する。
(読みやすくするために原文にはない段落分けをしています。)

■どの社会にも「自己実現に結びつく仕事=創意工夫の必要な仕事」と
自己実現に結びつかない仕事=創意工夫のいらない仕事」があります。
自己実現に結びつく仕事」はどの社会でも稀で、今日ではかつてよりも稀少になりました。
成熟社会化(汎サービス産業化)で熟練仕事が減って「役割とマニュアル」に基づく仕事が増え、
転職頻度が上がって職場での人間関係が希薄になったからです。



■とはいえ「創意工夫の必要な仕事」をこなすエリートの質が、企業が生き残れるか否かを決めます。
要は「役割とマニュアル」を創出する側の人材ですね。
優秀なエリートを選抜するには、
「仕事での自己実現」が可能だと思い込んで競争する若者が多いほど都合がいいので、
若者をそちら方向に煽(あお)ります。


■でも「仕事での自己実現」が可能な人間は一握りです。
煽り言葉を真に受ければ、社会に大量の失意と落胆が生まれます。
それだと社会不安になるので、資本は別の道を用意します。
「仕事での自己実現」の代わりに「消費での自己実現」を目指す道です。
ブランド物やハイテク品を買わないと幸せになれないと誘導し、システムに組み込むわけです。


■かくして社会は「仕事での自己実現」をする少数のエリートと
「消費での自己実現」を目指す多数のノンエリートに分かれます。
ノンエリートは「消費での自己実現」から見放されないように
「役割とマニュアル」的な労働を一所懸命にこなして消費に勤しみ、
エリートとともに米国流グローバル化に貢献します。
これが「ポストフォード主義体制」です。


■でも社会が成熟化すると、
「仕事での自己実現」か「消費での自己実現」以外の生き方が存在しない社会システムを、
実りがないと感じて退却する者たちも出てきます。
全てがつまらないという感受性が拡がり、社会に抑鬱的気分が蔓延することになります。
それが今直面している状況です。


■かつては熟練仕事や非流動的人間関係が「仕事での自己実現」を可能にしました。
仕事の後に花札や賭け事で盛り上がれる近隣社会や、貧しくても楽しい我が家がありました。
今では、「仕事外での非消費主義的な自己実現」を可能にした非流動的な生活世界(地域や家族)は空洞化しています。
それに気づいて農業に回帰する人や沖縄に移住する人も出て来ました。
でもそれが可能なのは極く少数です。「座席が限られている」からです。


■ではどうすればいいか。
「仕事での自己実現」からも「消費での自己実現」からも降りて、
「仕事外での非消費主義的な自己実現」を目指すことです。
昨今の「勝ち組・負け組」という言葉が象徴するのは、
自己実現が「仕事での自己実現」か「消費での自己実現」しかあり得ないという思い込みです。
まず、この思い込みを解除することが必要です。


■でも、それだけじゃ足りない。
「仕事外での非消費主義的な自己実現」を可能にするのは、
「役割とマニュアル」ならぬ「善意と自発性」が原理となる生活世界でのコミュニケーションや関係性です。
そういう生活世界が現に存在しないとどうにもなりません。
先の言い方では「座席を増やす」ことが必要なのです。


■南欧発のスローフードスローライフの運動は、
「仕事外での非消費主義的な自己実現」の基盤である生活世界を、護持することが目的です。
グローバル化は「役割とマニュアル」が支配する匿名的関係を拡げ、
「善意と自発性」が支配する記名的関係を壊します。
これはマズイというのが運動の本旨です。有機野菜を食べるかどうかの問題ではありません。

■「仕事での自己実現」や「消費での自己実現」から降りるのは、
恥ずかしくも何ともない実に賢明な選択です。
でも、そのためには、「ウマク生きること」ではなく「マトモに生きること」が評価されるような、
感情的安全の保証された非流動的な生活世界を護持することが大切です。
もともと「右」や「保守」とはそういう立場を指していたはずです。


■しかし、今やどこの国でも、生活世界は米国流グローバル化と無関係にあり得ません。
米国流グローバル化が繰り広げる流動的なシステム(「役割とマニュアル」的なもの=匿名的なもの)の恩恵に浴しつつも
なおかつ非流動的な生活世界(「善意と自発性」的なもの=記名的なもの)を手放さずにいるためには、
生活世界に固執する意欲のみならず、システム全体を観察して塩梅する周到なエリートが必要になります。



(「仕事での自己実現」と「消費での自己実現」しかないという思い込みをやめよ:2005-03-27)より転載
引用元:宮台氏のブログ

本日、市が主催するふれあい祭りが近くの公園で開催され、
この公園で開催されるようになってから初めて訪れた。
(昨年までは資格学校に拘束されていたという理由もある)

地域というには少し規模が大きいイベントであったが、
上記内容を意識すると、これまでには感じれなかった意義を感じた。
また、この日は秋祭りの時に出る地域の太鼓台(神輿のようなもの)も出て、街路を隈なく巡り
3歳と5歳の姪といっしょに眺めた。意外と中高生も女子も参加している。


もちろんムラ社会が持っている負の側面(排他性や、いわゆる空気を読めの「空気」のようなもの)は、
今でも存在するだろうし、諸手を上げて昔の小さな世界に戻ろうと言っているわけではない。
ただ、食事、建築、介護、そしてエネルギーなどの問題を、
地域という小さな社会を心地よく維持・保持するためにどうするかと考えた時、
今の状態は確かに不自然で改善の余地が多くある印象を覚える。


上記にあるような、「システム全体を観察して塩梅する周到なエリート」ではない私には、
理想的な状態のイメージもあまり浮かべられないけれども、
宮台さんが主張されるとおり、地域・社会へも参加することが、
自分自身の生きやすさ、
そして、これからどんどんダウンサイジング化していく日本社会全体の活路があるのではないかと思う。


飽和しているように思えた建築の役割も、これからという気もしてくる。



以下は、今回読んだ本からの引用

ここでは「ライフスタイルから〈ソーシャルスタイル〉へ」という考え方を知ってほしいと思います。
一時間目でも少しだけふれた、スローフードスローライフ運動の話をおぼえていますか。
日本で勘違いされている、有機野菜とかを食べて、オーガニックな物にかこまれる、
地球にやさしくてちょっとおしゃれな生活。あれが、ここでいうライフスタイルなんです。


「うちの店では、有機野菜も売ってますよ」なんて言葉につられて、巨大スーパーで買い物をする。
これではしょせん食材(商品)選択の問題、
すなわち「何を選ぶか」という違いだけで、従来の経済の延長線でしかありません。
でも、北イタリアの田舎から始まり、世界各地に広がった「スローフード運動」は
それとはまったく違います。
こちらは、まさに〈ソーシャルスタイル〉であり、社会選択の問題ー
ちょっと高くても、みんなで顔が見える生産者から買うことで、自分たちの町や村を守ろう、
という運動です。


ところが、これに恐れをなしたアメリカの巨大スーパーであるウォルマートが、
九○年代半ばに「ロハス:健康と持続可能性のライフスタイル」というマーケティング戦略を開発したんです。
しかし、ロハスの内実は「巨大スーパーが有機野菜を作りますからご安心してください」というもので、
まさに巨大システムへの〈依存〉なのです。アホな日本人は、ロハスを真に受けたわけですね。
そうではなく、本当のスローフードは食の〈共同体自治〉なのです。


食の〈共同体自治〉とは、
簡単に言えば「顔の見える範囲の人に向かってつくっているんだから、いい物をつくろう」、
そして「顔の見える範囲の人から、いい物を、スーパーよりも少し高いお金を出しても買おう」
という運動です。
そうすることで、地域の農家、商店街、それと結びついた人間関係、町の文化、
土地それぞれの匂い・・・といったものがすべて保たれる。
これこそスローフードの本質なんです。


つまり、ローカルであること、近くに接していること、ひとつながりの共同体を意識するなかで、
おたがいに内発的に「いいことをしようじゃないか」と思うような社会をつくれるかどうか。
これこそ、日本が変わっていけるかどうかの、大きなポイントだと思います。
(103〜105ページ)


この国が経済を回すために、個人をとことんまで働かせ、その幸せをけずり取っている(中略)
そして、そこでは、個人の幸せを支えるべき、「社会」という存在が徹底的に犠牲にされてきたのでした。
働く時間が長時間であること。
それは、何よりも人々が社会とかかわるチャンスを、完全に奪われていることを意味します。
たとえば子育てや家族ですごすことの大切さ、それも社会とのかかわりです。
でも、この国では、ふつうのサラリーマンをしている父親(もちろん母親も)が、
子育てに多くの時間をさくことはできません。
それどころか、家族そろって朝ご飯や晩ご飯を食べることすら難しいでしょう。
そのせいで、保育園や学習塾といった「お金で買えるサービス」にますます頼らなければならなくなる。
そして、そのためにますます働かなければならなくなります。
わが家という小さな社会にさえ、十分にかかわれないのですから、
地域のことや、町のこと、そして大切な政治への参加だって、満足にできるはずがありません。
ましてや、ボランティアやNPOを通じての社会参加など、夢のまた夢です。
(22ページ)
社会がこんなに腐りきっているのに、政治家や経済学者を名乗る連中のなかには、
性懲りもなく「経済成長さえあればすべてがうまくいく」などと、とんでもないことを言うヤツがいます。
そんなスローガンはまったくピントはずれなだけではなく、害毒にしかなりません。
(27ページ)

きみがモテれば、社会は変わる。 (よりみちパン!セ)

きみがモテれば、社会は変わる。 (よりみちパン!セ)

100%ORANGEさんのイラスト、祖父江慎さんの装丁で、
恥ずかしさを誘うデザイン。そしてタイトルとなっていて、
かつ、「アホな」「クソ」という表現がよく登場しますが、
書かれていることは、とても筋の通った真面目な内容です。