内面と外皮

先週も記した「新潮」に掲載されている綿矢りささんの「ひらいて」
いつも仕事帰りに立ち寄る淀屋橋駅構内の書店にもなかったので、
大型書店まで行って購入し、期待をこめて読んだ。
そして、期待どおりの優れた作品だと思った。


単行本ではないので、メディアでの宣伝・評はまだ少ないが、
綿矢りさが百合(ゆり)をえがく」とキャッチーにアピールされるだろう。
ポルノ的ではないが、性行為もなまめかしく描写されている。
(百合とは女性どうしの恋愛関係のこと=wiki「百合 (ジャンル)」
そのように捉えられることを、作者も予想しているであろうけれど、
不本意な捉えられ方だと思う。
SKE48のPV(*1)のように、
エンターテイメント性・話題性を意識し盛り込んだのではないだろうから。


そして、そのような社会の反応(あるいは販売戦略)への違和感こそ、
彼女が、くりかえし作品で描いているものだ。


この作品自体も、以前(2008/5/25の日記)にも引用した
田中弥生さん(文芸評論家)が記した綿矢りさ作品の特性

イメージコントロール能力=社会的な有能さ
時にそれが存在価値のすべてと見なされるという
メディア社会で特に優勢な人間観に対し
思春期の主人公が抱く皮膚感覚レベルの違和感と、
それが彼等に与えるダメージの大きさを描く。

にあてはまる内容である。
1:適当で残酷な共同体(親も含まれる)があって、
2:その社会になじめないながらもうまくあしらっている人がいて、
3:うまくあしらえない、あるいはあしらおうとしない人がいて、
4:両者が接することで、物語が動く。ダメージを受ける。


本作品の中の一部を引用してみると
1:共同体の適当な部分・・(朝のワイドショーに触れて)

・・・いどばた裁判だ。でも効果は絶大。
嘘か本当かわからない情報でも、確実に一人の人間の評価を上げ下げできる。
続報はあるようでまったくない、その場かぎりの採点システム。
はい、では次のニュース。
私はたくさんの情報が身体を流れてゆく感覚が好きだ。
それらは私になんの影響も与えずに透過してゆくけれど、
確実に私をよごしてくれる。毎日のニュースは、
その日浴びなければいけない外での喧騒に耐えるための、免疫をつけてくれる。
(39ページ)


1:残酷な部分

人の目が美に対して異常に厳しい事実に、私は戦慄する。
どんな人間も美を選別する能力は神から授けられていて、
だから誰でもたやすく美の審査員になれる。
彼らが求めるものは、とびきり優れた美しさの集合体ではない。
むしろ標準の眼、標準の鼻、標準の唇、平均のプロポーションの身体つきを求めている。
標準の集合体が、心地よく、整って収まっている状態を美と呼ぶ。
しかしそれを手に入れることの、比類ないむずかしさといったら。
(58ページ)


4:両者が接する部分(接した後の終盤の部分であるが)

「こわがられて当然だよね。それだけのことをしたから」
「違う、そうじゃなくて、愛ちゃんのなかにはいろんな愛ちゃんがいる感じがして、こわいの」
「なにを言っているの?私は本当に心から悪いと思ってるよ」
「ううん、まったく反省していない。私はもうだまされない」
「美雪、おかしなことを言わないで。どうして私が、反省していないとわかるの?」
美雪の言葉に、耳を疑う。
たとえにもこの前同じようなことを言われたばかりだ。
とぼしい笑顔だな。瞳がぼんやりすけて、薄暗い。自分ばかり見つめているからだ・・・。
「愛ちゃんは表面の薄皮と内面の肉が、ごく細い糸でさえつながっていない。
完全に分離してる。だからなにを言っても響かないし、届かない」
「なに言っているの、届いてるよ。そんな風に決めつけるなんて、ひどい。
私たち、心も身体も繋がったじゃない。いまだって、美雪の言葉は痛いくらいざっくりと、
私に刺さってる。」
美雪はもう聞きたくないという風に耳を強くふさいだ。
私も必死にしゃべりながらも、自分の言葉の嘘っぽさに愕然としていた。
本気で話しても思いを伝えられない。私はいつからこんな風になってしまったんだろう。
(81ページ)


「ひらいて」読後、雑誌「群像」5月号に掲載されている大江健三郎賞大江健三郎氏の選評を読む。
これはこれで、大江氏らしい文章で、フランスの作家ミラン・クンデラ氏の言葉などを引用しながら、
小説はどうあるべきかについて、そして綿矢さんの小説「かわいそうだね?」が、
いかに彼ら世界的な文学者が定義する「小説のあるべき姿」に近いかということを述べられているが、
どうもしっくりこない。
(述べられていることは、その通りだとは思うが・・・)


選評の最後の方に、

私は綿矢りさという特別な資質を持って生まれ、十七歳でデビューし、
三年後にさらにしっかり認められた小説家が、その後の十年間もしかしたら深い孤独のなかで、
いかに自分を鍛え続けたかを考えました。
そして私はそれが 小説を「たくみ」に書く技術をめざしての努力だったはず、
という結論に達したのです。そこで公開対談が実現すれば、
私はまず綿矢さんに、この十年の自己訓練について語ってもらいたい。
そして、これからの二十年、三十年の、小説家としての成熟への覚悟を話してもらえれば、
とねがっています。両者をあわせて、それは彼女に続く文学志望者たちへの、有効な小説論となるはずです。

とある。


その公開対談は二週間後の2012年5月15日に開催されるが、
私には彼女がこの2つの内容を明確に述べる気がしない。
なぜなのかは上手く言えないが、そうできることは今の若者的でない。
ここでいう若者的とは否定的な意味ではなく、古市憲寿氏の示す若者の新しい価値観のようなもの。
太宰治もそのような感じの人であったと思われる。


「ひらいて」 完璧とまでは思わないが、
オノマトペの使い方、出てくる物品、たとえ言葉、そして文体。
上手だなあと思う部分がたくさんある。

新潮 2012年 05月号 [雑誌]

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群像 2012年 05月号 [雑誌]

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絶望の国の幸福な若者たち

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(*1:SKE48 「片想いFinally」2012/1/25発売のシングル=これはこれで評価しています。)