モダンと魂と露骨さ

おととい、本日と終日資格学校。8時過ぎに帰宅。
昨日は、半日、資格の勉強。
山場を越して終盤。


橋爪大三郎氏の「レヴィ=ストロース神話学の謎」という講演を
ラジオデイズで購入し(千円)、移動の車内で聴する。
2時間の講演の前半1時間を聴き終えたのみなので、特に感想はない。


そもそも、この講演のベースとなっている
レヴィ=ストロースの「神話論理」自体も、神話を分解するばかりで、
その具体的な謎解きや、安易な回答が記されている書物ではないのだという。
「それを、私に教えて、私にどうしろというのだ。」というような戸惑いを覚える書物らしい。


帰路の電車でも聴く。
向かいの座席に長いカーテンレールを持った夫婦が腰掛け、
目をやると外国人で男性の足のすねの部分には刺青がある。
見慣れない部位への刺青だったので観察すると、
トーテムのような顔が描かれている。
家に帰って「トーテム タトゥー」と検索すると、この刺青は「ハイダトライバルタトゥー」と呼ばれ、
ネイティブアメリカンの伝統的な刺青であることがわかった。

あくまで参考のページリンク
(当然、現代ではファッションとしても彫られている)
ネイティブアメリカンの神話の話を聞いている時に、このようなものを見るなんて、
シンクロニシティかもしれない。(このシンクロニシティという考え方もユング周辺の発想であり、
ネイティブアメリカンと親和性がある。)



この刺青のデザインは嫌いではないが、
ダンデザイン、あるいはこれまでの日本の物品では見たことのないデザインである。

無理に連想すれば、
・九州地方の装飾古墳の石室に描かれた文様、
法隆寺の獅子狩文錦(日本製ではない)
古田織部の焼き物の絵柄
が、どこか似ている。


日本人は、このようなデザインをあえて避けているはずである。



昨日3時過ぎ、気分転換の散歩も兼ねて、
近所の図書館に行く。


「日本随筆大成」を読むでもなく眺めたりしながら30分ほどで帰宅。
山本耀司「MY DEAR BOMB」
・αLaVieガイドブックシリーズ24 Tokyo Art & gallery GUIDE
佐々木俊尚「キュレーションの時代」
の3冊を借りる。


ヨウジ・ヤマモトの本は今年出版されたばかりの本であるが、
この中に、上記デザインに関連するような文章があった。

ダンとは、すべてのものから魂を抜き去ることである。



・・・わたしはピラミッドが嫌いである。それから、悟りというものも信じていない。
瑕疵のないものを作ろうという、あの脂ぎったエネルギーとは対照的に、
そもそも人間は完璧なものなど作れるはずがない、という潔い諦めには、
与えられた日常を懸命に生きる人間が編み出した恥の美意識がある。


つまり、モノをハッキリ言わず、断定せず、何でもぼかす。
なぜぼかすのか。
結局、露骨な表現が嫌いなのである。

人間の世界に、無色透明、単純明快な答えなどあるものか。


インドネシアのバティック(ジャワ更紗・・)の図柄を見ていると、
〈間〉というものがない。〈間〉には悪魔が宿る、という宗教的な感覚が背景にあるらしい。
そこには〈間〉を尊重する意識が、逆のベクトルで働いている。・・・

(「MY DEAR BOMB」135頁)


まさに、ハイダトライバルタトゥーは露骨な表現である。
ピラミッドも露骨な表現である。



「モダンとは、すべてのものから魂を抜き去ることである。」
は1ページに1行書かれているのみであるが、
否定的意味合いなのか、自身のモダンデザインの定義なのか、
よくわからない。


いずれにせよ情熱的な本。
現代のクリエイターには珍しい、芸術家的な本である。


MY DEAR BOMB

MY DEAR BOMB

裸の人 1 (神話論理 4-1)

裸の人 1 (神話論理 4-1)