情報収集について

本日も勉強。少しは先日のNHKの「“司法試験流”知的生産術」を生かし、
盲目的に作図をするのでなく、今までに書いた自身の図面の見直し、
同類の用途の近年の事例をチェックしたり、少し俯瞰的な作業を行う。


そのあいま、昨日の帰路、レンタル店で借りたCD,DVDのチェック、
録画しておいた番組のチェックを行う。
(あいまと呼ぶにはふさわしくない、それなりの時間を費やす)



■「NHKスペシャル生活保護 3兆円の衝撃」(金)22:00〜
録画していたが早く帰宅できたためリアルタイムで視聴
大阪市生活保護受給者は市民の6%近くにもなり、大いに財政を逼迫している。
受給者には、フリーターとして職を転々としてきた若者も多く、
彼らは、市の手厚いサポートにもかかわらず、なかなか受給者から抜け出せない。
一方で中高年の受給者の中には受給費をそのままギャンブルに注いでしまったり、
またそうさせようと仕向ける悪徳な業者がいる。というリポート。
衝撃的な内容ではあるが、問題の捉え方が細部的すぎる気がする。
この放送を見て、
「結局「働かざるもの食うべからず」なのだ。食を断てば働くようになるさ。」
とのいつもの定型句で思考を結んでしまう人々も多いと思う。


■録画「“司法試験流”知的生産術」第二回
文章の記述法「IRAC」について
Iは問題提起(Issue)
Rはそれを解決するためにルール(Rule)を提示する。
Aはそれを事例に当てはめて(Application)
Cは問題に結論(Conclusion)を出す。
「たしかに〜、しかし〜」という語法。などについて


■録画「ITホワイトボックス」特集「ITで“学び”が変わる!?」
電子黒板、eラーニング、オープンエデュケーションについて紹介


いわゆる通信制の学校に近いeラーニングが紹介される。
パソコンなどの情報端末機で学び、回答し、
質問を担当講師にメール、講師からは迅速に回答が帰ってくる。
講師は視聴頻度、正答率など個々の生徒の進捗状況もチェック。
そして、横のつながりをSNSが果たす。という。


オープンエデュケーション(公開授業)については、
以前から知ってはいたが、利用するというレベルにまで至っていない。
私が知った時期の内容からずいぶんと進歩をし、
東京大学でも多くの講義が無料でネット受講できるのだという
講義ノートもダウンロードできる)


MIT(マサチューセッツ工科大学)では、すべての授業を公開しているのだという。
東京大学の副学長は、「このように公開する目的は、
東京大学はある事物に対してどのような捉え方をするのか』を知ってほしいためだ」と語られる。
特に日本の最高学府と言われる機関に対してはある種、無個性な知性を想像してしまいがちであるが、
他国あるいは他大学と違った一つの統一された思想的なものでもあるのだろうか。
東京大学の講義
MITの講義



■NHKBSプレミアム「BS歴史館」
五代将軍徳川綱吉の「生類憐れみの令」と呼ばれる一連の奇異な法令についての再解釈
生類憐れみの令は生きとし生けるものを憐れみ慈しむ心を持てという、
仏教思想や儒教道徳に根ざした大きな意識改革であり、そのような福祉的な発想は、
世界に先駆けたものであったとのこと。
当時、日常的に行われていたと言われる赤子の間引き(子殺し)や、
病人の遺棄致死などといった風習を改める目的もあったのだという。
綱吉の完璧・徹底主義と、違反したものに対する刑罰の厳罰化が本質をぼやけさせてしまっており、
単なる変人的な発想では25年間も継続して次々と法令を作り続けることはない。
その他、赤穂浪士事件に対しての審判、トップダウン政治の構築なども紹介。
秀逸なまとまりある内容。



■AKB48「フライングゲット」のおまけPV映画「紅い八月」レンタル
「Beginner」のオリジナル版PVでも見られるような、
自分たち自身の今の人気、アイドルとしての存在意義を、
隠喩的に揶揄するような内容であると思われる。
「Beginner」の方は、ゲームの中のキャラクターとして、バーチャルに殺されたり、
競わされたりする状態から、個々が脱却するというような内容であったが、
今回は、まだよく理解出来ない。


■「俺の妹がこんなに可愛いわけがない13,14,15」レンタル
お盆休みに続けて見たアニメのテレビ未放送分の最終回まで。
自ら進んで、このたぐいのオタク系アニメを見ようとは思わなかったが、
とてもよく出来たつくりなので、ついつい次・・次と見てしまった。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」
(内容については、また後日言及する)

本日更新の内田樹さんのブログに、

・・
私たちは一般的傾向として、自分が知っている情報の価値を過大評価し、
自分が知らない情報の価値を過小評価する。
「私が知っていること」は「誰でもが当然知らなければならないこと」であり、
「私が知らないこと」は「知るに値しないこと」である。


そういうふうに考える人間がいれば(アカデミズムの世界にもけっこうたくさんいるが)、
その人の情報リテラシーは低いと判断してよい。
情報リテラシーが高いというのは、自分がどういう情報に優先的な関心を向け、
どういう情報から組織的に目を逸らしているのかをとりあえず意識化できる知性のことである。
・・
情報リテラシーについて (内田樹の研究室)

との言及があるが、オープンエデュケーションなどが示す通り、
私たちが、知ろうと思えば知れる情報は飛躍的に増え、
情報を知っていることよりも、その探し出し方、そしてその扱い方を学ぶことのほうが、
今後の教育に限らず生活全般においても重要となってくるのだろうと思う。

勝間和代さんの言葉を借りれば
「1%の本質情報と、99%の不要な情報を見極める。
データーベースを潜在意識な経験としていかに引き出せるようにするか」
ということが重要になっていく過渡期なのだろうと思う。


私が、ここにだらだらと記入している自身が得た情報がその「1%」に該当するものだという
自負があって書いているわけでも、視聴しているわけでもない。
あるいはまた、このように情報収集していることすら時間の浪費なのかも知れない。