新しく前に進むこと

「縄文土器 弥生土器 どっちが好き?」という妙な曲がラジオからよく流れる。
レキシという歌手名(歌うのは池田貴史)「狩りから稲作へ」というタイトル。


「私は強いて言えば弥生土器が好きだ。」
と以前まで思っていたが、網野善彦氏やその他の方々からの影響により、
この設問の仕方、そして「狩りから稲作へ」という、
段階論的歴史観に違和感を覚える。
(曲自体は歴史をあえて軽くチャラく扱うというコンセプトであろうから
特に異論はない。)


狩りは狩りであり、稲作は稲作である。
稲作をするようになったから、資産が生まれ、文字が生まれ、
社会という組織を複雑化せざるを得なかっただけで、
狩りを中心とした縄文的な生活がプリミティブで問題を抱えていたから
稲作に改良されたわけではないと思う。


しかし、弥生時代はそれ以後の時代の過渡期的要素が強い。
縄文時代進歩主義的な要素が少なかったので、
1万年近く同じような生活をしていたのだろうと思う。


そういった意味でも縄文土器は一人の芸術家の個性が、
(あるいは一人の人間を介して発された呪術的な要素が)評価される土器であり、
弥生土器は改良の余地を多く残すプロダクトとしての土器である、
永遠に進歩し続ける土器である。


だいぶ前から買おう買おうと思っていて、ようやく買ったら買ったで、
一行も読まずに数ヶ月積ん読していた「ヤマノミ」をようやく読み始める。
NHK取材班が数ヶ月にわたりアマゾン奥地のヤマノミという部族に、
共同生活をさせてもらい記したレポート。
読んでみると、とても私はこのような環境で生活はできないと思う。

ヤノマミ

ヤノマミ



チャットモンチーのニューアルバムの最後に収められている曲「余韻」は、
下記のような歌詞で始まる。

もうこのままここでずっと目を閉じて
余韻にひたっていたい
新しいものはきらいだし
それはきっと明日も同じだし

同感。


リング状かららせん状へ
そのらせんの勾配はここへきてぐっと急勾配になっているように感じる。


AKB48googleもそういったマーケットを感知した自己修復機能が
とても早い組織なのだと思う。
昔からAKB48が好きだったということはあまり意味のない事なのかもしれない。
AKB48は弥生土器である。

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