関心を語ると言うこと

●金曜、後輩の誘いで酒を飲む。
面白い話、実のない話に縁遠い私は、
自身の関心事として、レヴィ・ストロースの話をする。
レヴィ・ストロースを取り上げると現代批評にならざるをえなくなり、
結果、現代擁護(「そうは言っても、現実的には不可能でしょ」という類の反論)
を誘発し、そこをうまく切り返せたらよいが私には、そのような能力はなく。
この話題を持ち出さなければよかったという思いを胸に帰路に着く。


再度、レヴィ・ストロースに関する書籍を読み返し、
また、中島義道氏などの本も読み、
私のスタンスは、実際に表現したそのままなのだから、
相手がそれを正しく理解しようが、批判的に捉えようが、
言い方は悪いけれども、どうでもよいことではないかという思いに至る。


私は私で、レヴィ・ストロースについての理解を
もっと深めればよいし、それは誰かに喧伝するべきものでない。
また、それを活かしてどうこうするべきものでもない。


レヴィ・ストロースの求めたところと、
ポストフォーディズムにおける自己実現に対する違和感と、
ネオリベラリズムに対しての批判が、混同しているが、
関心はそのあたりにある。


●本日、資格学校は模試のため
朝から出かける。


帰宅後、久しぶりに新日曜美術館を見る。
長谷川等伯の特集であったが、
そのあとの展覧会情報で紹介された、
ジョン・ルーリーというアーティストの作品に興味を持った。
久しぶりにアートを見た気がした。
色も、構成も、描写も魅力的である。



午後10時
ETV特集「殺すなかれ〜没後100年 トルストイの遺言〜」
午後11時、腹痛