欲求の形式 古代と現代の35歳

●昨日購入した「35歳からのリアル」

35歳からのリアル

35歳からのリアル

昨日の帰宅途中と就寝前に全体的にパラパラと読む。
統計的なデータはそれなりに正しいのであろうが、
どの項も、国家的なものに対する安易な批判と、
マルクスなどの掘り下げの浅い引用、
勧めるビジョンの不明確さ。


あまり、よい本ではない。


誰が書いたのかを知ろうにも、
人生戦略会議と記されているばかりで、
著者の名前がどこにも記載されていない。



●夕刻、上司と久々にコンビニに行く。
「最近、何か楽しんだ?どっか面白い場所に行ったりした?」と聞かれたが、
「あまり、ワーッと騒ぐような楽しみは元来好きでないので、
躊躇せず本を買うとか、マニアックな日本文化の研究をするとかが
しいていえば楽しみ」と愛想のない返答をする。
答えてみて、八方あれば七方向ぐらいに私は閉じているのだろうと思う。



●「風の旅人」の創刊号を先日ブックオフで購入したが、
その中に、以前にも引用したことのある酒井健氏のコラムがあり、
ラスコーの壁画など古代の動物壁画について言及されていた。


私の誤読かもしれないが、

動物の絵が描いてあれば、我々現代人はいつも、
「それは狩猟の成功を祈ったものだ」とか、
「もっと獲物が増えることを神に祈るために描いたのだ」と考えてしまうが、
その発想は現代の欲求充足型、物質文明がさせる発想なのではないか。

というような内容。


穀物に関連する祭りにしても、
動物の絵を描く行為にしても、
「もっと、もっと欲しい」という願いではなく、
純粋に今あるそれらをたたえたかったのではないか。


しばらく、このコラムを読んだことを忘れていたが、
35歳からのリアルの下記の文章を見て思い出す。

原始の時代、働く意味はきわめて単純かつ明快でした。
それは直接的に「衣食住」を手に入れるためです。
ひとつ付け加えるとすれば、配偶者を得て子どもをもうけ、
子孫を繁栄させるためでした。
(32ページ)

「そんなはずはない」と私は思う。
原始の人々も現代人と同じように複雑な思考をしていたはずである。


現代を生きるのは困難だという内容の、
軽い接頭語として用いたのであろうが、
古代人に対して失礼である。